西武池袋線椎名町駅自由通路にある椎名町駅ギャラリー(長崎1-1-22)では、「スタジオゼロ」のパネル展示が開催されています。期間は2018年3月末まで。
■トキワ荘のあった町
同駅名の「椎名町」は、現在の豊島区南長崎地域の旧町名。かつてこの町には、手塚治虫をはじめとする、日本を代表するマンガ家が暮らしていたトキワ荘があったことで知られています。「椎名町駅ギャラリー」は2011年の椎名町駅舎の改修工事に伴って整備され、地域の文化や伝統工芸を紹介するスペースとなっています。
今年は、国産として最古のアニメが公開されて100周年目。それを記念し、椎名町駅ギャラリーでは、トキワ荘ゆかりのマンガ家たちが作ったアニメスタジオ「スタジオゼロ」が紹介されています。
■スタジオゼロの設立
「スタジオゼロ」はトキワ荘からすべてのマンガ家たちが転居して2年が過ぎた昭和38年5月に設立されました。横山隆一の「おとぎプロ」で7年間アニメーター生活を送っていた鈴木伸一が同社を退社したことをきっかけに石ノ森章太郎、藤子・F・不二雄、藤子不二雄(A)、つのだじろうが作ったアニメスタジオです。
地下鉄荻窪線(現・丸ノ内線)新中野駅から近い倉庫を借りてスタジオとし、「有限会社スタジオゼロ」としてスタート。半年後には赤塚不二夫も加わり、マンガ作品のアニメ化などを手がけました。
■スタジオゼロの活躍と終止符
鈴木以外はアニメ未経験でしたが、順調に会社は拡大し、昭和40年には、スタジオを新宿に移転。最盛期には80名ほどのスタッフを抱えていたが昭和46年に設立メンバーたちの仕事が忙しくなったため、その活動に終止符がうたれました。その後、「ゼロ」の会社名は鈴木伸一が引き継ぎ、CMや短編作品を制作しています。
今回の展示では「スタジオゼロ」が手がけたアニメ作品の場面カットや絵コンテ等の資料のパネルが展示されています。
区の担当者は展示にあたり「トキワ荘に集ったマンガ家たちはマンガと同じくらいアニメに熱中し、ついには自分たちでアニメスタジオを作ってしまいます。展示ではマンガ家ならではの個性溢れるエピソードを紹介しています。」と語っています。
皆さまも是非、椎名町駅ギャラリーで漫画文化の歴史に触れてみてはいかがでしょうか。
※手塚の塚は旧字、藤子不二雄(A)のAは丸囲み、石ノ森章太郎の「ノ」は小文字で表記されます。
開催概要
期間 | 2018年3月末まで(予定) |
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場所 | 西武池袋線椎名町駅自由通路 椎名町駅ギャラリー 東京都豊島区長崎1-1-22 |
主催 | 豊島区 |
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