5月20日、文化庁より、雑司ヶ谷鬼子母神堂(雑司が谷3-15-20)を含む12件の建造物を重要文化財に指定することについて、文化審議会が文部科学大臣に答申した旨の情報提供を受けた。文化庁によれば、同日開催された文化審議会文化財分科会の審議・議決を経て答申が出されたもの。
今回の答申を受けて、正式に指定が決定されれば、豊島区内の有形の重要文化財は、建造物では自由学園明日館(平成9年指定)に次いで鬼子母神堂は2件目となり、有形民俗文化財である「豊島長崎の富士塚」を含めれば3件目となる。
◆鬼子母神堂について
鬼子母神堂は鬼子母神像を祀る堂で、江戸時代を通じて安産などの信仰により庶民の崇敬を集め、現在でも多くの参詣者を集めている。また、毎年地域の人々の手によって「御会式」が開催されるなど、地域コミュニティの拠点ともなっている。
鬼子母神堂は、本殿の前面に相の間を介して拝殿が接続している、いわゆる権現造と呼ばれる複合建築である。本殿は寛文4年(1664)に広島藩主浅野光晟(あさのみつあきら)の正室、自昌院(じしょういん)の寄進により建立され、細部に安芸地方の社寺建築の特徴を示している。拝殿は元禄13年(1700)の建立で、装飾性豊かで正面一間を吹き放しとするなど、近世寺社建築らしい華やかな礼拝空間が創出されている。
今回の答申では、鬼子母神堂は建築年代が明らかで、江戸時代における大名家による社寺造営状況や、拝殿組物を略式に改めるなど幕府による建築規制への対応過程をよく示しており、歴史的に価値が高い、という点が評価された。
※鬼子母神堂の「鬼」の字は、1画目の点(ツノ)のない文字を用います。
◆鬼子母神堂で地元報告会を開催
なお、5月25日(水曜日)午後6時から、鬼子母神堂において、地元関係者に向けた、重要文化財指定の答申についての報告会が、法明寺によって開催される。また内覧会も併せて実施され、通常見ることができない場所も見学できる。
雑司が谷地域の人々にとっては、平成26年12月に、雑司が谷歴史と文化のまちづくり懇談会の「雑司が谷がやがやプロジェクト」が日本ユネスコ協会連盟の「未来遺産プロジェクト」へ登録されたことに続いての朗報となる。
今回の答申に対する高野之夫豊島区長並びに威光山法明寺(鬼子母神堂の本寺)近江正典住職のコメント。
【高野之夫区長コメント】
鬼子母神界隈には武蔵野の面影を残す自然の森があり、万灯を揺らして練り歩く古くからの賑やかな祭り「御会式(おえしき)」があり、人情豊かな人々の触れ合いがある。
この雑司が谷の魅力を100年後の未来にも引き継げるように、今ここで暮らす人たちと力を合わせ、自然と時代との変化を調和させる取り組みを行っている。
このたびのお話は、その取り組みが評価された日本ユネスコ協会連盟による「雑司が谷未来遺産」の登録に続いての朗報で、区民あげて、心から喜んでいる。
350年という長きにわたって、地域の方々に親しまれてきた鬼子母神堂が高く評価された。区民のシンボルとなり、区民にとって大きな励みとなる。
今後も地域固有の重要な文化財として保存・継承するとともに、今、区が取り組む新たな都市の将来像「国際アートカルチャー都市」の一翼を担う文化の大きな拠点として、豊島区の多様な文化の魅力をさらに国内外にアピールしていきたい。
【法明寺ご住職コメント】
重要文化財の指定についての答申の報道を受け大変喜んでいる。また、日頃から鬼子母神堂の維持管理にご協力いただいているみなさんに深く感謝し、喜びを分かち合いたい。
奇しくも今年は鬼子母神堂が開堂されてから三百五十年という節目の年である。これまで先人によって何度も修理が重ねられ、今日まで維持されてきた。このように連綿と続けられた取り組みが重要文化財としての評価につながったと考えている。
また、毎年の防災訓練をはじめとする地域の方々の協力もあり、鬼子母神堂の保護に大きく貢献していただいている。このような地域ぐるみの取り組みも、重要文化財指定を後押ししたと思われる。
今後は、百年後も地域を代表する文化財として、鬼子母神様をお参りする皆様の依処としてありつづけられるよう、関係各位のご協力をいただきながら、御堂を守り、後世に伝えるべく努めていきたい。
問い合わせ: 庶務課 文化財グループ 伊藤 電話03-3981-1190